Copyright(C)(株)置賜日報社
TEL0238-22-7250
Email:norio.n@jan.ne.jp

(肩書きは掲載年月日当時のものとした)
--- Vol. 1 ---

1.古いレコード
竹田 又右衞門

2.親友から親戚へ
糸賀 開
3.私の親分
舩山 達郎

古いレコード 1997.1.12 掲載
竹田 又右衞門 (たけだまたうえもん=川西町フレンドリープラザ館長)
 大手のコンピュータ会社を退職した柳澤君は、母君が郷里に残した茶室の管理と、仙台に住む細君の母君を見舞いに帰郷するたび、電話をよこしたり顔をみせてくれたりするが、在職中よりかえって忙しくなったと苦笑している。箱崎の役員室にいた時よりは忙しいに違いはないが、家族のために忙しいというのはわが女房殿あたりにすれば当然の話で、やれ排水だ雨漏りだと面倒を見てもらっている中学の同級である佐々木君はじめには、留守がちな小生は頭が上がらない。
 私たちの学生時代に初めてLPが出回った。それまでの七十八回転のSPとは比べものにならない音質のよさに驚嘆したものだ。池上線石川台にある柳澤君の下宿に泊まり込み、秋葉原から部品を集めて自称ハイファイを組み立て郷里に送った。ハンダ付けの匂いがいまでも鼻に残る。クリスマスの夜、急ぎ二人で帰郷してレコードに針をのせた。感激のあまり同じ盤を何回も繰り返し聴いて夜が明けた。マーラーの頽廃(失礼!)に傾倒した時期もあった。その後私の好みは環境のせいか邦楽になって、さまざまな分野の盤を買い込んだ。先日能楽囃子体系を捜し出して音楽連盟の山田君に聞いてもらった。二十五年前の盤はすでにカビが生え、山田君は水洗いしてようやく音を出したという。今年の夏、プラザで行われた薪能がきっかけで、囃子の手組を研究して地元で能の囃子をやろうというもくろみなのだ。思いがけなく昔の遊びが役に立った。新旧さまざま、ここには書きつくせない多くの恩人、友人なくして人生はあり得ない。
親友から親戚へ   1997.1.19 掲載
糸賀 開 (いとがひらく=国民金融公庫米沢支店長)
 昭和四十三年一橋大学に入学した私は、学生寮で生活することになった。その時一緒に寮委員になった一人が栗田実君であった。私も彼も地方出身であったが、社交性、知的センス等において明らかに彼が優っていた。我々は、急速に親しくなったという訳ではなく、年々ジワッと交流が深まっていったように思われる。学生時代には彼と一昨年急逝した山本雅治君(ご夫人は翻訳家の山本やよいさん)と三人で松本、長野、池の平へと三泊四日の旅行などをしたが、彼がNHKへ入り、函館支局勤務の時は、一週間ほど居候させてもらったこともある。
 おたがいに長い独身生活を過ごしたが、結局彼は、私の妻の妹と昭和五十八年に結婚し今日に至っている。このお節介役を勤めたのは勿論私達夫婦であったが、彼らの結婚式当日、披露宴会場をチョロチョロ走り回っていた当時二歳の私達の長女が、中学コーラス部で三年連続NHK学校放送音楽コンクールの東京都代表校決定戦に出場し、NHKホールで演奏したというのも何か縁を感じさせる。
 彼は現在広島支局勤務となっているが、管理職なので昔のように自分で番組を製作する機会はなくなったようだ。十数年前に彼が手がけた「危険を買う男たち」のような画面に引きつけられるドキュメンタリーをもう一度見たいと思うのだが・・・。
 さて私は今、山形県で仕事をしているが、山形は実は彼の出身県でもあり、これまた因縁を感じている次第である。

私の親分 1997.1.26 掲載
舩山 達郎 (ふなやまたつろう=山形おきたま農業共同組合代表理事組合長)
 私はいまでも親分は寒河江善秋と思っている。寒河江さんは昭和五十二年四月にこの世を去ったがその葬儀は委員長に東龍太郎元知事がなり、副委員長はまだ首相にはならない竹下登先生だった。会場の渋谷駅に近い千日谷会堂には友人、後輩、門弟と自負する者が入りかわりして千数百名に及んだ。川西町の旧吉島村を出て享年五十六才、その生涯は波瀾万丈であったが人間関係を大切にした故人だっただけにその逝去を惜しむ人々がこのように首都圏に存在していたことに私たちは瞠目した。
 寒河江さんは折節に家族の住む洲島に帰られることがあったころ私たちを呼んで囲炉裏をかこむ夜話をされた。東京の近況から政界にうつり趣味の広さが面白かった。その或る年の暮、寒河江さんは陶土をこねて茶の湯の香合づくりされていたのに遭遇した。明日これを平清水の七右エ門窯に持って行きたいと言われるので私は車での同行を申し出た。七右エ門窯では近年の陶芸教室盛況の以前であり、ことさらに香合が「亀」の形であることからも年明けの初窯に福が舞いこんで来たと歓迎をされた。それから幾年かして寒河江さんはこの七右エ門窯を会場にして山形友人会を何回か開催した。限られた帰郷の時間に出来るだけ多くの人と顔を合わせる企画である。南陽市萩の「源蔵そば」の釜を据えて昼食は生そばの振舞い、そばの容器が平清水の大皿でこれはおもちかえり下さい。一人分の陶土をひねり乍ら、善秋を囲む会には山形の有名人の顔が見えかくれした。この時だけでなく寒河江さんはよく私の車に同乗された。助手席の親分から聞いた人生観と処世術は私の生涯に大きく影響した。

懐かしい思い出
あの人との出会い、心に残る珠玉の記録(置賜圏内外より 160名が寄稿、 現在続編も米沢日報へ毎週好評連載中)

わが交遊録  米沢日報より絶賛発売中(定価2000円[税込み])

次へ→

| 米沢日報TOPへ| HOMEへ|
eショップ検索コミュニティー広場イベント掲示板置賜の四季置賜の出来事みんなのリンクeランキング